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HOME特集 >瀬戸内国際芸術祭と世界の現代アート~感性を刺激する秋の旅2013~ 「瀬戸内国際芸術祭について」

「ガイドブックだけではわからないプロがススメる過ごし方」の2013年秋の特集のご案内です。
今年は、「瀬戸内国際芸術祭」が小豆島で行われています。秋から冬にかけての開催に関連した情報と周辺の島々の観光情報を掲載。また、世界の現代アートに関する美術館やその周辺の情報をご紹介!

『瀬戸内国際芸術祭について』
Setouchi Triennale 2013


●開催期間
春:3月20日|春分の日| — 4月21日|日| ※終了
夏:7月20日|土| — 9月1日|日|
秋:10月5日|土| — 11月4日|月|

●作品鑑賞パスポート
◎夏シーズンパスポート(有効期間2013年7月20日‐9月1日)当日|一般4,500円/高校生3,000円「販売期間2013年7月20日‐9月1日まで」。夏シーズンパスポートは夏会期[7月20日‐9月1日]中、芸術祭の作品を鑑賞できます。
◎秋シーズンパスポート(有効期間2013年10月5日‐11月4日)前売|一般4,000円/高校生2,500円[販売期間2013年9月2日‐10月4日]、当日|一般4,500円/高校生3,000円[販売期間10月5日‐11月4日]。秋シーズンパスポートは秋会期[10月5日‐11月4日]中、芸術祭の作品を鑑賞できます。

※1枚につき記名本人1名のみ有効、1作品1回のみ。(2回目以降、要個別鑑賞料)
※作品鑑賞パスポートは芸術祭会期外にご利用いただけません。
※一部の作品、イベントについては別途料金が必要です。

ご紹介の地②カリフォルニア-モントレー&カーメル
●瀬戸内国際芸術際が開催されている島々
※会期により、展示されていない作品もありますのでご注意ください。展示の会期は[]内をご確認ください。

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小豆島(しょうどしま)


つぎつぎきんつぎ 岸本 真之  撮影:中村脩

地域の人びとから集めた家庭で使わなくなった食器などの陶磁器などを使い、多面体や垂直方向に伸びるオブジェを展開。これらの素材を「金継ぎ」という昔からの修復技術を模した技法でつなぎ合わせ、新たなかたちに再生したものである。本作品のキーワードは「結晶」。生活に密接に関わってきた日用品は、それぞれの記憶を内包している、作家はその思いをつなぎ、作品へと結晶化させた。夏から作品展示場所を変え、バージョンアップする。



眺望絶佳
 古川弓子



わらアート
 武蔵野美術大学わらアートチーム [秋]



神様のおなら
 臼井英之



島・港の概要
小豆島町は、瀬戸内海国立公園に浮かぶ小豆島の中央から東に位置する、海と山の美しい自然に恵まれた町です。 平成18年3月21日に内海町と池田町が合併して誕生しました。 小豆島町は、日本におけるオリーブ発祥の地として、また、壷井栄の小説を基にした映画「二十四の瞳」の舞台として全国的に知られています。オリーブ発祥の地にはオリーブ公園が、「二十四の瞳」の地には再映画化のセットを保存した二十四の瞳映画村があり、多くの観光客で賑わっています。その他にも日本三大渓谷美に数えられる寒霞渓、18世紀頃に始まり、現在も伝承されてきている農村歌舞伎舞台など数多くの観光スポットを有しています。 小豆島町の産業は、醤油、佃煮、素麺などの食品産業が中心です。電照菊やスモモなどの農業、大坂城築城からの歴史を有する石材業、豊かな観光資源を生かした観光関連産業やオリーブ製品の製造業も盛んです。

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豊島(てしま)



あなたが愛するものは、あなたを泣かせもする
(日本フライチャイズバージョン)
トビアス・レーベルガー   撮影:中村脩

家浦港に面する2階建ての空家を改装したレストラン「イル ヴェント」。作家は、人間の知覚と実在のギャップに注目し、天井、床、壁、テーブルに、第一次世界大戦の船にカモフラージュとして使われたものに似た迷彩柄、ストライプ、水玉などを施した。鑑賞者は、二次元/三次元、在/不在の間を行き来しつつ、錯覚の世界へと迷い込む。ランチやデザートを提供し、食事をしながら作品を楽しめる空間でもある。




島キッチン 安部 良   撮影:中村脩

「豊島の食」で人びとをつなぐプラットフォームをつくるプロジェクト。地元のお母さんたちと丸ノ内ホテルのシェフが協働し、地元で採れた野菜や魚を使ったレストランをオープン、瀬戸内国際芸術祭会期中は週末を中心にイベントを多数開催する。安部良の設計により、もともと平屋だった家自体を厨房に改築し、縁側を増設。ステージのある広場を囲むようにして半屋外の客席を設け、大きな屋根が全体を包む開放的なレストランをつくった。






空の粒子/唐櫃 青木 野枝   撮影:中村脩

貯水タンクを囲むのは、空に粒子が舞うような形状の、錆びた彫刻。この作品は、円形に切り出されたコールテン綱をつなぎ合わせてできている。周囲にある神社や棚田、海を望み、流れ込む水の音を聞きながら、普段は目に見えないがそこに存在するものの気配を体験する。唐櫃の清水は80年前に石を組んでつくられた、集落の貴重な水源。作家はこの場所に通い、地域の行事に参加しながら、清水をコミュニケーションの場とすることを主題に制作に取り組んだ。




勝者はいないーマルチ・バスケットボール イオベット&ポンズ


島・港の概要
豊島は、日本で最初に定められた瀬戸内海国立公園の中にあって、瀬戸内海の東部、小豆島の西3,7㎞の海上にあり、岡山県(岡山市)と香川県(高松市)の中間に位置しています。 島の周囲は約20キロメートル、人口は1,000人余りの小さな島です。 島には豊かな自然があり、大小さまざまな島が浮かぶ美しい瀬戸内海は、島内どこからでもすばらしい眺望が望め、新鮮な魚介類が獲れます。 また、壇山からは、豊島石(角れき凝灰岩)が産出され京都の桂離宮の石灯籠、白峰寺の十三重塔など豊島石で作られた作品は全国にも沢山残されています。そのふもとには清らかで豊富な水が流れ、大小300のため池もあり、田畑を潤しおいしいお米と温州みかんや新鮮な野菜、イチゴのハウス栽培・レモン栽培も盛んです。 古くから「お接待」と言われる風習があり、旧3月21日にはお大師まいりがあり各札所でお接待(お菓子やおにぎり)などがおもてなしがあります。 賀川豊彦が力を入れた福祉施設として乳児院、特別養護老人ホーム、精神薄弱者更生施設があり、「福祉の島」と呼ばれる由縁となっている 酪農の始まりも早く戦後間もない頃までは「ミルクの島」と呼ばれていました。 また、島の西に位置するところで行われた産業廃棄物不法投棄の問題で全国から注目されています。現在、隣の直島で処理が行われています。

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女木島(めぎじま)



MEGI HOUSE
愛知県立芸術大学瀬戸内 アートプロジェクトチーム
    撮影:中村脩

美術、音楽の両学部による合同チーム。2010年5月より教員や学生が、女木島に滞在し制作。港の前にある空家が、ステージを備える活動拠点、表現の集合体「MEGI HOUSE」として整備された。当初は遠まきに見ていた島の人たちも、熱心に作業する学生の姿を見て声をかけ、ときには制作を助けながら完成までのプロセスを見守り続けた。2010年の瀬戸内国際芸術祭会期中は、ここを中心に音楽学部の教員らによるコンサートや、さまざまな領域が混在する実験的表現が展開された。



均衡 行武 治美    撮影:中村脩

手作業で削り出した短冊状の鏡、1万個以上をワイヤーでつなげ、古い納屋に張り巡らした作品。鏡の一つひとつに周囲の風景や鑑賞者自身の姿が映り込み、平衡感覚が揺らぐ。鏡はまた土壁の隙間から差し込む自然光を反射し、時間帯によって様相を変える。「ものごとは二律背反したもののバランスの組み合わせで成り立っている」というコンセプトのこの作品は、作家が約4カ月間島に滞在して制作し、多くの地元の人びとやこえび隊の協力を得て完成にいたった。





不在の存在 レアンドロ・エルリッヒ    撮影:中村脩

改装した空家に、2つの作品を設置。図書室とレストランを併設し、島の内外の人が集い出会う場として再生させた。白い石が敷き詰められた中庭には、誰も歩かずとも足跡が現れ、石を踏む音が聞こえる作品《Invisible(見えないもの)》がある。《Double Tea(二重の茶室)》は、2つ並んだ鏡の片方が、実は奥の部屋への入り口になっている部屋。かつての住居空間が再構築され、知覚の混乱を引き起こす。


島・港の概要
高松の沖合約4kmに、女木島と男木島2つの島が並んでいます。女木島は別名「鬼ヶ島」、鬼が住んでいた大洞窟は夏でもひんやり、昼なお暗く鬼の宴の間や、牢屋跡、様々な仕掛けが。怪奇な雰囲気にドキドキ!!桃太郎が鬼退治に向かった島といわれています。 女木港では大鬼が両手を広げて迎えるユニークな「鬼ヶ島おにの館」。全国の鬼が集まり、鬼に関する珍しい郷土民具を展示するなど、新しい観光名所として脚光を浴びています。 高松港の沖あい約4Km、波静かな瀬戸内海に浮かぶ小島は、冒険ミステリーの島!あの桃太郎が鬼征伐に来たと伝えられ、通称「鬼ケ島」と呼ばれている女木島です。島内には、桃太郎伝説を裏付けるように、人工と思われる洞窟があり、訪れる人々を鬼のロボットたちが、千年ロマンの世界・謎の洞窟へと引き込みます。この島も夏になれば、さらに沖あいの男木島とあわせてマリンレジャーのメッカ!海水浴、キャンプ、釣りはもちろん、クルージングやセーリングを楽しむ若者たちの陽気な歓声がマリンブルーの海に響きわたり、瀬戸内海の「青春アイランド」になります。

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男木島(おぎしま)


オンバ・ファクトリー オンバ・ファクトリー    撮影:中村脩

坂が多く、道の細い男木島の生活には、オンバ(乳母車)が必須のものだ。作家は「おばちゃんたちが、個性的な『マイ・オンバ』を押す姿こそ楽しい風景になるのでは」と、オンバのための工房を開設した。島の人たちが普段使用しているオンバに修理や塗装をしたりと、その活動は会期前から始まっていた。メンバーはオンバの持ち主一人ひとりにヒアリングを行い、「カスタマイズ・オンバ」を制作。ワークショップ「オンバツアー」では実際にオンバを押して島内をまわる。評判を聞きつけた島の人びとからの受注が絶えず、工房は忙しさを増している。



男木島の魂 ジャウメ・プレンサ  撮影:中村脩

この作品のコンセプトは、人が集まり、島に訪れる人を温かく迎える空間をつくり出すこと。建物の屋根はさまざまな文化圏の文字が使用され、世界の多様性を表している。建物のかたちは、自らの住居を自分自身でつくることのできる貝からインスピレーションを受けたもの。この作品はまた、長い年月をかけて自分たちの文化をつくり、それを守る努力を続ける男木島の人びとへの敬意をも表している。さらに、異文化の架け橋である海へのオマージュである。



時の廊下 西堀隆史  



タイム・チューブ-とき まき つつ の家 
川島猛とドリームフレンズ



うつしみず 石塚沙矢香   


島・港の概要
女木島から船で20分で男木島へ。段々畑のように密集する民家の間を縫って連なる石段は、瀬戸の小島ならではの風情。島の最北端に立つ男木島灯台は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったところで、明治の洋風建築の宿舎跡は、灯台資料館として活用され、ノスタルジックな気分を誘います。

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大島(おおしま)


{つながりの家}カフェ・シヨル 
やさしい美術プロジェクト




青空水族館 田島征三

島・港の概要
庵治港の北西約2.5kmの海上にある。
古くは源平合戦の戦場にもなった島で、屋島の大合戦に敗れた平家方の墓に植えられた松が、800年の歳月を経て、「墓標の松」として残っている。江戸期には高松藩最大の島として山守りが置かれ、明治時代には10戸ほどが半農半魚の生活を営んでいた。
もともとは2つの島からなり、砂洲でつながった。標高67.6mと小柄な山体で、中央の平坦部には明治42年に中国・四国8県連合の大島療養所として設立された国立療養所大島青松園がある。青松園では、昭和6年から入園者自身による自治会(協和会)が発足しており、昭和56年3月には自治会50年史の発刊もなされている。

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犬島(いぬじま)

島・港の概要
岡山市東部、宝伝の沖約3kmにある、岡山市唯一の有人島。
元禄時代(1688年から1704年)に入植が始まる。
古くから花崗岩の産地として知られ、鎌倉八幡宮の大鳥居、岡山城、大阪城、江戸城などにも犬島産の石が使われている。
明治30年代の大阪港築港のための採石業と40年代の銅の精錬業などで隆盛を極めた時代があり、最盛期は5,000人から6,000人あまりが生活していた。大正7年には小学校、昭和22年には中学校が開校されている。
昭和44年には岡山市と合併、その後は、経済変化による企業撤退、住民の減少や高齢化により小・中学校ともに平成3年には廃校となった。
銅精錬所跡や採石場跡が当時をしのばせ、独特の雰囲気を持ったユニークな島であるため、各種イベントや映画・テレビのロケ地として利用されることも多い。
平成20年4月27日に、財団法人直島福武美術館財団による犬島アートプロジェクト「精錬所」が開館した。

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高松港(たかまつこう)



Liminal Air-core- 大巻 伸嗣     撮影:中村脩

色とりどりの2本の柱が、海を望む。時とともに変わる光や空気の色が、鏡面に仕上げられた柱の表面を変化させる。その柱は、普段意識することのない自分の外側のかたち=空気を回転させたかたちである。見る角度や時間、状況によって多様な表情を見せる柱は、他者から見た自分を映すと同時に、高松の環境を可視化するゲートとなる。


島・港の概要
瀬戸内海に面する港町で、かつて国鉄の宇高連絡船が就航していたこともあり、四国の玄関口として四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、多くの全国的規模の企業の四国支社や支店、また四国電力やJR四国といった、四国全域を営業区域とする公共サービス企業の本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点である。 現在、高松市の人口は平成の大合併などを経て42万人を擁し、さらに高松市を中心とする高松都市圏の人口においては約84万人(2005年国勢調査基準)と、香川県の人口100万人の過半数に達する都市圏で、四国最大の都市圏を形成している。 江戸時代には譜代大名・高松藩の城下町として盛え、高松城天守がこの街の象徴であったが、明治時代に破却され、現在では2004年(平成16年)に完成した高松シンボルタワーが、それに替わる新しいランドマークとしての機能を果たしている。 さらに、高松市の中心商店街である丸亀町商店街では、大規模な再開発が行われており、活気ある商店街として多くのメディアで紹介されている。 また香川県の人口重心は「高松市国分寺町福家」[1]と、高松市中心部からみて南西の市内にあり、県の地理的中心でもある。

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宇野港(うのこう)


宇野のチヌ 淀川テクニック   撮影:中村脩

島・港の概要
岡山県の南部に位置し、市中心部の宇野港は四国の高松や瀬戸内海の島々(直島・豊島・小豆島)への航路がある瀬戸内のターミナル。 瀬戸大橋の開通までは、宇野―高松を結ぶ宇高連絡船の発着地、また東京―宇野を結ぶブルートレイン瀬戸の発着点となるなど、四国と本州とを行き交った人たちにとって、船と鉄道の思い出が残るまちです。 「晴れの国おかやま」の中でも特に晴れている街。年間日照時間は2222.8時間で、全国2位(出典:気象庁メッシュ気候値2000)。

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沙弥島(しゃみじま)[春]

島・港の概要
沙弥島から眺める讃岐は美しい。讃岐の国津神飯依彦命のやどる飯野山を中心に,東に城山,五色台,南に大麻山・善通寺五峰・雨霧,青ノ山と,それぞれに峻険に,あるいは,まろやかに並びはるかかなたに阿讃山脈と四国山地が重々と延びる。 沙弥島はかっては坂出港の沖合約4kmに浮かぶ,東西160m,南北930mの小島であった。昭和42年(1967年)番の州埋立事業で陸続きになったが,今でも『沙弥島』と呼んでいる。 島の歴史は古く,『万葉集』に柿本人麿が詠んだ 玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か・・・ 狭岑の島の 荒磯面に・・・ という歌は有名で,はるか昔は,沙弥島は,狭岑島などさまざまな字が当てられていた。 今では沙弥島からの眺望も刻々と変化しており,昭和63年4月瀬戸大橋の完成により,新しい景観をつくりだしている。

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本島(ほんじま)[秋]


ここにいるために 平良亜弥と西岡万里子



崩壊と再生の中で 森節子



漆喰・鏝絵かんばんプロジェクト 村尾かずこ



善根湯×版築プロジェクト 齋藤正×続・塩飽大工衆



Vertrek「出航」 石井章

島・港の概要
昭和9年、国立公園として第1次指定を受けた瀬戸内海国立公園の中にあって、備讃海域に点在する塩飽諸島の中心島。秀吉以来、自治権を安堵(あんど)されていた人名(にんみょう)制度の中心島で、人名から選出された4人の年寄によって政治が行われ、江戸時代は天領として明治維新まで人名の自治が続いた。年寄衆が政務を執った塩飽勤番所(しわくきんばんしょ)をはじめ、歴史・文化財の宝庫としても有名で、笠島地区では町並み保存を進めている。
瀬戸大橋の完成後は、橋を横に見ながらのハイキング・サイクリングなども盛んになり、若い人からお年寄りまで楽しめる。水揚げされる瀬戸内の魚は、訪れる人の大きな魅力になっている。

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高見島(たかみしま)[秋]


高見島へのオマージュ 小西道博+楠本衣里佳+河 野有希+藤野裕美子



望郷の火 若林亮



蛸の家 吉野央子



サブミッション・ハウス 迫鉄平



Sea Room 小松敏宏



除虫菊の家 内田晴之+小川文子+田辺桂



 青木亜樹


島・港の概要
瀬戸内海のほぼ中央、多度津港の北西7.4kmの海上にある。塩飽諸島の最高峰でもある龍王山を中心に南北に細長い円錐型の島。
建久年間(1190~1199年)に備中児島からの移住が集落の始まりと伝えられる。南部の浜浦、北端近くの板持の3集落があり、中心は浜・浦集落である。浦集落は標高50mほどの所を中心に、約25度の斜面に家が建ち並び、自然石の乱れ積み石垣が残っている。
イカナゴ漁が盛んで、近年ハマチ・タイ・メバルなどの養殖も増えつつある。

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粟島(あわしま)[秋]


不可能の可能性 中島健



腹の上の島 戸田祥子



島の鬼を巡る 田村友一郎



凪に漕ぎ出す 麻生祥子



スサノヲ 滝沢達史


島・港の概要
瀬戸内海のほぼ中央、香川県の西部にあり、詫間港の北西4.5kmの海上に浮かぶ島。
船乗りの島にふさわしくスクリューの形をしており、かつては北前船の寄港地として栄えた。明治30年設立の国立粟島海員学校は、日本で最初に村立(当初)で開設され、海運業界に多くの人材を送り出してきたが、昭和62年廃校となり、90年余の長い歴史に幕を閉じた。その跡地は、粟島海洋記念公園に新しく生まれかわり、島のシンボルとなっている。

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伊吹島(いぶきじま)[夏]


沈まぬ船 豊福亮+Chiba Art School




大岩島2 大岩オスカール

島・港の概要
観音寺港沖約10km、燧灘のほぼ中央に浮かぶ周囲5.4km、面積1.05kmの香川県最西端の小さな島です。伊吹島から西方約8kmには股島及び小股島が、西北約8kmには円上島(まるがみじま)がありますが、いずれも無人島です。伊吹島は、安山岩、花崗岩などからなる台状の島で、台地には平地が開けていて、島の周囲は急傾斜の崖が海岸に屹立し、住宅は島の南から北にかけての鞍部に集中しています。 <名前の由来> 神恵院の住職であった弘法大師が、島の近くの海に漂っていた光を放つ不思議な木、すなわち「異木(いぼく)」を引き上げ、多くの仏像を刻まれたことから「異木島(いぼくじま)」と名付けられたという。また、一説では島の西浦の沖合いに海底から泡が吹き出しているところがあり、島の人たちが「大地が息を吹いている」と考え、「息吹島(いきぶきじま)」というようになった。それらが訛って、いつとはなく「伊吹島」と呼ぶようになったといわれる。 <産業> 良質な煮干イワシ(イリコ)の生産が盛んで「イリコの島」として有名。漁期の6月から8月、島は活気にあふれる。

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直島(なおしま)

直島のアート作品につきましては、著作権の許諾が得られなかったため、記載できておりません。

島・港の概要
「直島(なおしま)」という地名は、保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐へ配流される途中、この島に立ち寄られたとき、島民の純真素朴さを賞して命名されたと伝えられています。
徳 川時代には、幕府の天領(直轄地)となり、瀬戸内海の海上交通の要衝を占め、海運業や製塩業の島として栄えました。大正6年になると三菱鉱業、現在の三菱 マテリアル(株)直島製錬所が設立され、以来、島は飛躍的な発展を遂げてきました。さらに、平成元年には、福武書店、現(株)ベネッセコーポレーションが 直島文化村構想の一環として国際キャンプ場をオープン。その3年後にはベネッセハウスを開設するなど、文化性の高い島としても発展してきています。
明治23年5月に直島村となり、昭和29年4月1日、町制の施行により直島町となり、現在に至っています。

 

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